FINAL HOME
Spring/Summer 2003
Kosuke Tsumura Works 1994-2003
April 2003
High Fashion No.290
Photography by Zoren Gold and Minori Murakami
Makeup & hair by Noboru Tomizawa
Modeling & written by Kiki Kudo (p.78-p.81)
Styling by Kyoko Fushimi
津村耕佑の仕事。
「もし、災害や戦争、失業などで家をなくしてしまったとき、ファッションデザイナーである私は、どんな服を提案できるか、またその服は平和なときにはどんな姿をしているのか」―――これは、FINAL HOMEのホームページの冒頭に津村耕佑が書いた言葉だ。このおよそファッションデザイナーらしからぬ発想。ファッションを越境してアートに、プロダクトに、ディレクションにワープするコウスケ・ツムラの仕事を追う。
津村耕佑の仕事。
「もし、災害や戦争、失業などで家をなくしてしまったとき、ファッションデザイナーである私は、どんな服を提案できるか、またその服は平和なときにはどんな姿をしているのか」―――これは、FINAL HOMEのホームページの冒頭に津村耕佑が書いた言葉だ。このおよそファッションデザイナーらしからぬ発想。ファッションを越境してアートに、プロダクトに、ディレクションにワープするコウスケ・ツムラの仕事を追う。
Final Home
ファイナル ホーム=最後の家。ブランド名であり、サバイバルのための衣服という津村耕佑のユニークな思想の象徴。
ファイナル ホーム=最後の家。ブランド名であり、サバイバルのための衣服という津村耕佑のユニークな思想の象徴。
FINAL HOMEのミックスコーディネートその1(写真右)
チベットの正装用ガウンと中国のお祭り用帽子(共にインポート・ギャラリー アコー)を合わせ、インドの毛糸の髪飾り(仲屋むげん堂)で飾る。カーキ色の自転車カバーを兼用するフードつきブルゾンとその上の黒のべスト、ポケットに詰めたナイロンのテディベアはFINAL HOME(A-net)
FINAL HOMEのミックスコーディネートその2(写真左)
アフガニスタンの民族衣装とチベットの布製ロングブーツ(共にインポート・ギャラリー アコー)、インドの毛糸の髪飾り、腰につるしたインテリア用の飾り、首に巻いたタオル、ブレスレット(すべて仲屋むげん堂)、毛糸の帽子(文化屋雑貨店)で満艦飾に飾りたて国境を越えた掃除人と化す。オレンジのブルゾンとパンツはFINAL HOME(A-net)。掃除機カバーは、TSUMURA ROOMの特別作品。
FINAL HOMEのミックスコーディネートその1(写真右)
チベットの正装用ガウンと中国のお祭り用帽子(共にインポート・ギャラリー アコー)を合わせ、インドの毛糸の髪飾り(仲屋むげん堂)で飾る。カーキ色の自転車カバーを兼用するフードつきブルゾンとその上の黒のべスト、ポケットに詰めたナイロンのテディベアはFINAL HOME(A-net)
FINAL HOMEのミックスコーディネートその2(写真左)
アフガニスタンの民族衣装とチベットの布製ロングブーツ(共にインポート・ギャラリー アコー)、インドの毛糸の髪飾り、腰につるしたインテリア用の飾り、首に巻いたタオル、ブレスレット(すべて仲屋むげん堂)、毛糸の帽子(文化屋雑貨店)で満艦飾に飾りたて国境を越えた掃除人と化す。オレンジのブルゾンとパンツはFINAL HOME(A-net)。掃除機カバーは、TSUMURA ROOMの特別作品。
とにかく驚いたのです。あの「FINAL HOME」の代名詞といわれる、ポケットがたくさんついたジャケットを津村耕佑氏が考えてから、今年で10年。で、10年間の月日を越えて再び、いま甦る。んじゃなくて、あのジャケットって、毎年欠かさずつくり続けられていたって知ってました?毎年。だって、白いシャツやTシャツなどの流行り廃りのないものではなく、かなり個性的なコンセプチュアルな洋服で、それも流行り廃りが付き物のファッションブランドで。つーか、まてよ。「洋服という物体」として考えると驚きな話だけど。もはやこれを洋服というよりも⋯⋯。
洋服を着るという行為は、とにかく「フレッシュ」を身にまとうことなんだなぁと思うのです。それが、どんなデザインのものであろうと、旬だからであろうと、前人未踏のコーディネイトを考えてしまったから、どこぞの有名人が着ていたから私も着たい!で手にしたものであろうと、あとあと洗濯したばっかりのものもそうだし。その他どんな理由にしても、洋服を着るって行為が「フレッシュ」な気分を手に入れるための、ひとつの手段である。といっても私たちは、改めてそう感じるまでもなく、洋服を着るといった普遍的な行為を繰り返す。けど、このことによって、日々ちいさなアクションを自分自身に与えていたんだなぁ。ぎゃふん。
センセーショナルな事柄に出会うことで「フレッシュ」な気分を味わうまでもなく、自力本願で手に入れていた、いや、手に入れることができるのであるということ。「仮に地球が滅んだとしたとき、土にかえらないものが溢れる中、次の人類はこれで洋服を作るだろう」という「都市」と「もしも」をコンセプトにしてスタートした「FINAL HOME」は、都市をサバイブするための「機能重視」の洋服ではなく、誰しもが温存している潜在的な力と向きあい「フレッシュ」を生みだすことへと誘導してくれる洋服を媒介としたプロジェクト。のように思うのです。
「縫い合わせられる表地と裏地の間の、なんにも役に立ってない空間を利用し、そこに生きるための必要最低限なものを入れることができる、バッグのような服をつくってみたかったんですね。モノを入れることで膨らむから、身体のカタチがデフォルメされる面白さもある。保温したかったら新聞紙などを入れればいいし。大切にもっておきたいものを入れるのもいいし。機能性だけを追求するんじゃなくて、各自の用途、そしてカタチが幾重にもかえられるものをつくりたかった」と「FINAL HOME」のデザイナー、津村耕佑氏はいう。それを体現した、各自が「フレッシュ」を創りだせる装置のような、この「FINAL HOME」の代名詞として知られているポケットがたくさんついたジャケットは、これまで、津村さんのクリエイションのひとつとして着続ける人から、「FINAL HOME」が本当に必要な被災地などにも送られるなど、様々な用途で着られてきた。「でも、ファッションとして買う人が大多数だから、飽きるのが当然って思っていて。だから、飽きたらショップに戻せます、ってことになっているんですよ。当初は、それを被災地に送ろうと思っていたんだけど、戻ってきたのは10年間つくり続けて、たった5着」。「FINAL HOME」をまとうことは、いったい自分には何が必要なのか?と問いかけられているようだ。そして、脱いだときにまじまじと、モノが入ったことで変形したカタチやポケットの中を覗くことで、過ぎ去っていった場所や時間や気分を、垣間見れる。なんだか自己発見的な洋服なんだなぁ。と改めて思うのでした。
とにかく驚いたのです。あの「FINAL HOME」の代名詞といわれる、ポケットがたくさんついたジャケットを津村耕佑氏が考えてから、今年で10年。で、10年間の月日を越えて再び、いま甦る。んじゃなくて、あのジャケットって、毎年欠かさずつくり続けられていたって知ってました?毎年。だって、白いシャツやTシャツなどの流行り廃りのないものではなく、かなり個性的なコンセプチュアルな洋服で、それも流行り廃りが付き物のファッションブランドで。つーか、まてよ。「洋服という物体」として考えると驚きな話だけど。もはやこれを洋服というよりも⋯⋯。
洋服を着るという行為は、とにかく「フレッシュ」を身にまとうことなんだなぁと思うのです。それが、どんなデザインのものであろうと、旬だからであろうと、前人未踏のコーディネイトを考えてしまったから、どこぞの有名人が着ていたから私も着たい!で手にしたものであろうと、あとあと洗濯したばっかりのものもそうだし。その他どんな理由にしても、洋服を着るって行為が「フレッシュ」な気分を手に入れるための、ひとつの手段である。といっても私たちは、改めてそう感じるまでもなく、洋服を着るといった普遍的な行為を繰り返す。けど、このことによって、日々ちいさなアクションを自分自身に与えていたんだなぁ。ぎゃふん。
センセーショナルな事柄に出会うことで「フレッシュ」な気分を味わうまでもなく、自力本願で手に入れていた、いや、手に入れることができるのであるということ。「仮に地球が滅んだとしたとき、土にかえらないものが溢れる中、次の人類はこれで洋服を作るだろう」という「都市」と「もしも」をコンセプトにしてスタートした「FINAL HOME」は、都市をサバイブするための「機能重視」の洋服ではなく、誰しもが温存している潜在的な力と向きあい「フレッシュ」を生みだすことへと誘導してくれる洋服を媒介としたプロジェクト。のように思うのです。
「縫い合わせられる表地と裏地の間の、なんにも役に立ってない空間を利用し、そこに生きるための必要最低限なものを入れることができる、バッグのような服をつくってみたかったんですね。モノを入れることで膨らむから、身体のカタチがデフォルメされる面白さもある。保温したかったら新聞紙などを入れればいいし。大切にもっておきたいものを入れるのもいいし。機能性だけを追求するんじゃなくて、各自の用途、そしてカタチが幾重にもかえられるものをつくりたかった」と「FINAL HOME」のデザイナー、津村耕佑氏はいう。それを体現した、各自が「フレッシュ」を創りだせる装置のような、この「FINAL HOME」の代名詞として知られているポケットがたくさんついたジャケットは、これまで、津村さんのクリエイションのひとつとして着続ける人から、「FINAL HOME」が本当に必要な被災地などにも送られるなど、様々な用途で着られてきた。「でも、ファッションとして買う人が大多数だから、飽きるのが当然って思っていて。だから、飽きたらショップに戻せます、ってことになっているんですよ。当初は、それを被災地に送ろうと思っていたんだけど、戻ってきたのは10年間つくり続けて、たった5着」。「FINAL HOME」をまとうことは、いったい自分には何が必要なのか?と問いかけられているようだ。そして、脱いだときにまじまじと、モノが入ったことで変形したカタチやポケットの中を覗くことで、過ぎ去っていった場所や時間や気分を、垣間見れる。なんだか自己発見的な洋服なんだなぁ。と改めて思うのでした。
Exhibition & Show
さまざまな展覧会。コンセプチュアルなショー。多様な形式を通じて、ファッションデザインの新しいあり方が探られる。
さまざまな展覧会。コンセプチュアルなショー。多様な形式を通じて、ファッションデザインの新しいあり方が探られる。
Windcoat in Paris
パリ、2002年9月。マレ地区のギャラリーでのウィンドコートの実験的な展示会。
パリ、2002年9月。マレ地区のギャラリーでのウィンドコートの実験的な展示会。
各地で行なわれたFINAL HOMEの展覧会
時代をつかんだユニークな発想が注目されて、FINAL HOMEは、これまで何度も、ファッションの枠に収まらない個展や合同展の形で展覧会を行なってきた。右はその一部。上から、1999年東京都現代美術館で行なわれた「身体の夢」展より。吹抜けのスペースに、色とりどりのFINAL HOMEが展示された。中は、'94年、MDSG(ミヤケ・デザイン・スタジオ・ギャラリー)での、個展「津村耕佑1994」。FINAL HOMEの展覧会。下は、'95年栃木県立美術館での「モードと風刺」展より。
KOSUKE TSUMURAコレクション
KOSUKE TSUMURAのコレクションは毎回何か驚きのあるコンセプチュアルなもの。左下は、'01年春夏東京コレクションより。モデルが向かい合って、互いの服を破り合う。右下の上2点は、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで開催されたショー。下2点は、青山のショップ(当時)で、ロンドンでの映像が流れる中、同じ服のモデルが歩くという形式。服自体も非常にアート的だった。
上海ビエンナーレ2002
83ページでも紹介する自転車カバーのコートのほか、装飾したスケートボードも出展された。右は、人工芝、中は畳、左は毛皮がはってあり、ライフスタイルに合わせたスケートボードを提案。写真撮影は田島一成、スタイリングは伏見京子。
パリで行なわれたWINDCOATのインスタレーション
現在、津村耕佑がデザイナーとしてかかわっているのは、FINAL HOMEのほかには、PlantationとWINDCOATがある。2002年9月に、パリのマレ地区のギャラリーで行なわれた展示会では、服を着たモデルをデジカメで撮影し、その場で出力し、写真展のように壁に並べるというものだった。
服はすべてその時の、'03年春夏WINDCOAT。
各地で行なわれたFINAL HOMEの展覧会
時代をつかんだユニークな発想が注目されて、FINAL HOMEは、これまで何度も、ファッションの枠に収まらない個展や合同展の形で展覧会を行なってきた。右はその一部。上から、1999年東京都現代美術館で行なわれた「身体の夢」展より。吹抜けのスペースに、色とりどりのFINAL HOMEが展示された。中は、'94年、MDSG(ミヤケ・デザイン・スタジオ・ギャラリー)での、個展「津村耕佑1994」。FINAL HOMEの展覧会。下は、'95年栃木県立美術館での「モードと風刺」展より。
KOSUKE TSUMURAコレクション
KOSUKE TSUMURAのコレクションは毎回何か驚きのあるコンセプチュアルなもの。左下は、'01年春夏東京コレクションより。モデルが向かい合って、互いの服を破り合う。右下の上2点は、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで開催されたショー。下2点は、青山のショップ(当時)で、ロンドンでの映像が流れる中、同じ服のモデルが歩くという形式。服自体も非常にアート的だった。
上海ビエンナーレ2002
83ページでも紹介する自転車カバーのコートのほか、装飾したスケートボードも出展された。右は、人工芝、中は畳、左は毛皮がはってあり、ライフスタイルに合わせたスケートボードを提案。写真撮影は田島一成、スタイリングは伏見京子。
パリで行なわれたWINDCOATのインスタレーション
現在、津村耕佑がデザイナーとしてかかわっているのは、FINAL HOMEのほかには、PlantationとWINDCOATがある。2002年9月に、パリのマレ地区のギャラリーで行なわれた展示会では、服を着たモデルをデジカメで撮影し、その場で出力し、写真展のように壁に並べるというものだった。
服はすべてその時の、'03年春夏WINDCOAT。
そんなわけで、津村さんが「ISSEY MIYAKE」のデザイナー時代、パリコレなどのエンタメの面白さもいいけど、モードな仕事で表現できない何か?「洋服は人が着て生きるものだけど、その存在自体が充分自立していて面白いモノやオブジェ的なものを、ファッションの中でつくってみたい」ということで、口だけでプレゼンするのもなんなんで、まずは現場を。と、一生さんをわざわざ自宅にお呼び立てし、家でゴソゴソとつくり続けていたブリキのオブジェを見せたところ、じゃあやってみなさい。と言ってくれた懐の深い会社。
それからというもの、人間国宝の竹職人に逢いに行って、漆塗りの竹でレイバン型のサングラスつくることになったりなど、少しだけ視点をズラすことで新しい想像を生みだしはじめることに。それが、今なお津村さんのクリエイションに繋がっている。からなのかなんなのか?
自己発見的なクリエイションをし続ける津村さんだけに、アートの世界からお呼びがかかることが多いのです。
ヴェネチア・ビエンナーレや上海ビエンナーレなどの国際展にも招待され、3月にはスパイラルでの個展も控えている。とはいえ、つくるものが、ちゃんと洋服やフアッションとしての落とし込みがされたものであって。そこがいい~。お呼びがかかったとしても、突然、ペインティングなんかやんないところがいい。いや、やるのは自由なんだけど。だけど。
アートって、ペインティングに写真、彫刻、ビデオインスタレーションなどの、さまざまなカタチで表現されますが、その落とし込みのスタイルのことではないのです。一番大切というか、なくてはならないのが、その人、アーティストの「思想」が感じられること。つーか、それ以外にありえないと思います。だから、その「思想」を的確に伝えられるものであれば、表現の方法、手段はどんなものでもいいんだわぁ。誰がの為じゃなくて、マッドサイエンティストのバカバカしい研究のように。だけど、それが一番、清いもんだと思うのです。だって、各々が千差万別の思考を持っているんだもん。不特定多数の誰しもが欲しいもの。ほど陳腐なもんはないんじゃないかなぁ。
上海ビエンナーレで津村さんが発表した、自転車もスッポリはいるレインコート「bicycle cover coat 2way」や、情報過多の時代だけにナゴミや癒しを追うよりも、情報をシャットアウトすることに価値があるのでは?と、フードがスッポリと顔まで覆えるようになって、あれよあれよという間に「ひとりテント」に早変わり、するコートなど。一見、機能的っぽい、王様のアイデアな気がするんだけど、実は実は。ハイテクな機能を重視するよりも、より個人的な発想促進機能重視型なもの。
雨の日でも自転車に乗りたい、ってどんな気持ちなんだろう?
都会の喧騒にいながら、ひとりぼっちになりたい気持ちって⋯⋯。雨の日も配達するヤクルトおばさんへのアンサー・ファッションでも、便利グッズでもなく。自分の知らない世界へとシンクロしてみたいといった、津村さんの思考のねじれが垣間見れる。
そんな唯一無二な発想こそが、アートなんだなぁ。と思うけど、津村さんは、やっぱり自分はファッションデザイナー。だと言ってた。そうなんだよね。アーティストだ、なんて言っちゃうと、とたんにウソっぽく見えてきてしまう、あら不思議な感じ。ファッションの世界に身を置いているからこそ、見えてくる何か?自分の立ち位置を知っているからこそ生まれる思考の面白さ。それが実にアートっぽいんだなぁ。と思うのです。
くどう・きき●作家兼〝康ギャラリー〟(http://www.yasugallery.com)キュレーター。1972年横浜生れ。著書にコラム集「あすなろさん」(アスペクト刊)、小説「姉妹7センセイション」「よのなかのパロディ」(共に河出書房新社刊)がある。
そんなわけで、津村さんが「ISSEY MIYAKE」のデザイナー時代、パリコレなどのエンタメの面白さもいいけど、モードな仕事で表現できない何か?「洋服は人が着て生きるものだけど、その存在自体が充分自立していて面白いモノやオブジェ的なものを、ファッションの中でつくってみたい」ということで、口だけでプレゼンするのもなんなんで、まずは現場を。と、一生さんをわざわざ自宅にお呼び立てし、家でゴソゴソとつくり続けていたブリキのオブジェを見せたところ、じゃあやってみなさい。と言ってくれた懐の深い会社。
それからというもの、人間国宝の竹職人に逢いに行って、漆塗りの竹でレイバン型のサングラスつくることになったりなど、少しだけ視点をズラすことで新しい想像を生みだしはじめることに。それが、今なお津村さんのクリエイションに繋がっている。からなのかなんなのか?
自己発見的なクリエイションをし続ける津村さんだけに、アートの世界からお呼びがかかることが多いのです。
ヴェネチア・ビエンナーレや上海ビエンナーレなどの国際展にも招待され、3月にはスパイラルでの個展も控えている。とはいえ、つくるものが、ちゃんと洋服やフアッションとしての落とし込みがされたものであって。そこがいい~。お呼びがかかったとしても、突然、ペインティングなんかやんないところがいい。いや、やるのは自由なんだけど。だけど。
アートって、ペインティングに写真、彫刻、ビデオインスタレーションなどの、さまざまなカタチで表現されますが、その落とし込みのスタイルのことではないのです。一番大切というか、なくてはならないのが、その人、アーティストの「思想」が感じられること。つーか、それ以外にありえないと思います。だから、その「思想」を的確に伝えられるものであれば、表現の方法、手段はどんなものでもいいんだわぁ。誰がの為じゃなくて、マッドサイエンティストのバカバカしい研究のように。だけど、それが一番、清いもんだと思うのです。だって、各々が千差万別の思考を持っているんだもん。不特定多数の誰しもが欲しいもの。ほど陳腐なもんはないんじゃないかなぁ。
上海ビエンナーレで津村さんが発表した、自転車もスッポリはいるレインコート「bicycle cover coat 2way」や、情報過多の時代だけにナゴミや癒しを追うよりも、情報をシャットアウトすることに価値があるのでは?と、フードがスッポリと顔まで覆えるようになって、あれよあれよという間に「ひとりテント」に早変わり、するコートなど。一見、機能的っぽい、王様のアイデアな気がするんだけど、実は実は。ハイテクな機能を重視するよりも、より個人的な発想促進機能重視型なもの。
雨の日でも自転車に乗りたい、ってどんな気持ちなんだろう?
都会の喧騒にいながら、ひとりぼっちになりたい気持ちって⋯⋯。雨の日も配達するヤクルトおばさんへのアンサー・ファッションでも、便利グッズでもなく。自分の知らない世界へとシンクロしてみたいといった、津村さんの思考のねじれが垣間見れる。
そんな唯一無二な発想こそが、アートなんだなぁ。と思うけど、津村さんは、やっぱり自分はファッションデザイナー。だと言ってた。そうなんだよね。アーティストだ、なんて言っちゃうと、とたんにウソっぽく見えてきてしまう、あら不思議な感じ。ファッションの世界に身を置いているからこそ、見えてくる何か?自分の立ち位置を知っているからこそ生まれる思考の面白さ。それが実にアートっぽいんだなぁ。と思うのです。
くどう・きき●作家兼〝康ギャラリー〟(http://www.yasugallery.com)キュレーター。1972年横浜生れ。著書にコラム集「あすなろさん」(アスペクト刊)、小説「姉妹7センセイション」「よのなかのパロディ」(共に河出書房新社刊)がある。
Shop
ジッパーの中に物を詰めるファイナル ホームのコンセプトをショップに応用。KDaによる画期的な、変化する店。
ジッパーの中に物を詰めるファイナル ホームのコンセプトをショップに応用。KDaによる画期的な、変化する店。
店のあり方が、これほど服のコンセプトを体現している例も珍しい。FINAL HOMEの東京の2店舗のデザインを依頼するにあたって、津村耕佑がデザイナーのクラインダイサムアーキテクツに出した注文は、サバイバルや移動を基本においたブランドなので、遊牧民的な移動可能なイメージを出してほしいということだった。「青山やパリという場所に依存した成功物語には、僕は興味がありません。今やインターネットで、自由に空間移動できる時代。ショップも簡単に開いたり閉めたりできるといいと思うんですよ。スクラップ&ビルドではなく、空間を再利用しつつ、ある環境の中での生活を提案する形のショップを考えてみたかったのです」
設計を担当したKDaのアストリッド・クラインは、「私たちの頭の中にあったFINAL HOMEというのは、ジッパーがいっぱいあって、ポケットの中に物を入れてサバイバルできる、ちよっとドラえもんみたいなイメージだったので、インテリアも、そのFINAL HOMEならではのものを見せたいと思ったのです。ジッパーのあるポケットからなんでも出てくるような―――」
原宿店の場合は、オレンジのジッパーつきの移動可能なクロゼットが中央縦1列に据えられている。そこに段ボールのソファや鏡を加えただけの至って簡単な作り。まるで、野営テントのイメージ。店の外側もオレンジ。夜は、内部のオレンジが外にあふれ出す。
「サバイバルというのは、とりあえずということが重要。完璧ではない。軽いから、フレキシブル。いつも変わる、いつも新しくなる可能性があるということ。あえて、明日でもそこから出られるような構造にしました。クロゼットもよくある形。FINAL HOMEで使っている生地の特注品です。色をオレンジにしたのは、一つのインスタレーションのように目立ってほしかったから」
渋谷パルコ店もコンセプトはまったく同じ。三方の壁面はすべてクロゼット。色は、清潔感あふれる白。厳しいビル内の規制を逆手にとって、単純で撤去も簡単。ただし両側面は、角度をつけてあって外からでも中身が目立つ。
「おもしろく、リラックスできる感じを出したんです。屋台のような。まるでそこが家(ホーム)のような安心感を与えられるショップを作ってみたいと思いました」
堅固なコンセプトがあるからこそ、遊びが可能なのかもしれない。
店のあり方が、これほど服のコンセプトを体現している例も珍しい。FINAL HOMEの東京の2店舗のデザインを依頼するにあたって、津村耕佑がデザイナーのクラインダイサムアーキテクツに出した注文は、サバイバルや移動を基本においたブランドなので、遊牧民的な移動可能なイメージを出してほしいということだった。「青山やパリという場所に依存した成功物語には、僕は興味がありません。今やインターネットで、自由に空間移動できる時代。ショップも簡単に開いたり閉めたりできるといいと思うんですよ。スクラップ&ビルドではなく、空間を再利用しつつ、ある環境の中での生活を提案する形のショップを考えてみたかったのです」
設計を担当したKDaのアストリッド・クラインは、「私たちの頭の中にあったFINAL HOMEというのは、ジッパーがいっぱいあって、ポケットの中に物を入れてサバイバルできる、ちよっとドラえもんみたいなイメージだったので、インテリアも、そのFINAL HOMEならではのものを見せたいと思ったのです。ジッパーのあるポケットからなんでも出てくるような―――」
原宿店の場合は、オレンジのジッパーつきの移動可能なクロゼットが中央縦1列に据えられている。そこに段ボールのソファや鏡を加えただけの至って簡単な作り。まるで、野営テントのイメージ。店の外側もオレンジ。夜は、内部のオレンジが外にあふれ出す。
「サバイバルというのは、とりあえずということが重要。完璧ではない。軽いから、フレキシブル。いつも変わる、いつも新しくなる可能性があるということ。あえて、明日でもそこから出られるような構造にしました。クロゼットもよくある形。FINAL HOMEで使っている生地の特注品です。色をオレンジにしたのは、一つのインスタレーションのように目立ってほしかったから」
渋谷パルコ店もコンセプトはまったく同じ。三方の壁面はすべてクロゼット。色は、清潔感あふれる白。厳しいビル内の規制を逆手にとって、単純で撤去も簡単。ただし両側面は、角度をつけてあって外からでも中身が目立つ。
「おもしろく、リラックスできる感じを出したんです。屋台のような。まるでそこが家(ホーム)のような安心感を与えられるショップを作ってみたいと思いました」
堅固なコンセプトがあるからこそ、遊びが可能なのかもしれない。
FINAL HOME原宿店昨年10月にオープンした路面店
「津村さんの服の色は黒、白、カーキ、オレンジ。中でいちばん目立つ色を使いました」とクラインダイサムアーキテクツ。エントランス脇は、いろいろなイベントやアーティストとのコラボレーションなどに使えるようにスペースが取ってある。オープニングでは、ロンドンのグラフィティアーティストREQのペインティングパフォーマンス(写真左の右2点)が行なわれた。
東京都渋谷区神宮前3の27の1
tel 03-5412-1345 営業時間11時~20時 無休FINAL HOME渋谷店(左奥)
昨年9月にリニューアルオープンした渋谷パルコパート1店。3面をジッパーつきの白い布製のクロゼットがおおう、原宿店同様のコンセプトで作られたショップ。
東京都渋谷区宇田川町15の1 渋谷パルコパート1 5階
tel 03-3477-5922 営業時間10時~20時30分不定休新しい発想のデザインワーク
左は、A-netのミーティングスペース。白く広い空間には、シンプルなテーブルといすが置いてあるだけだったのが、津村の発案でこんな未来的なフォルムのパーティションが出現。隣の気配を感じながらのゆるやかなコミュニケーションを目指すツール。右は、アトリエ・ワンの塚本氏のリクエストで製作したSHIRT CURTAIN。下の写真は、上から自転車カバーを兼ねたナイロンコート、インディーズドールmomokoとそのパッケージ。
FINAL HOME原宿店昨年10月にオープンした路面店
「津村さんの服の色は黒、白、カーキ、オレンジ。中でいちばん目立つ色を使いました」とクラインダイサムアーキテクツ。エントランス脇は、いろいろなイベントやアーティストとのコラボレーションなどに使えるようにスペースが取ってある。オープニングでは、ロンドンのグラフィティアーティストREQのペインティングパフォーマンス(写真左の右2点)が行なわれた。
東京都渋谷区神宮前3の27の1
tel 03-5412-1345 営業時間11時~20時 無休FINAL HOME渋谷店(左奥)
昨年9月にリニューアルオープンした渋谷パルコパート1店。3面をジッパーつきの白い布製のクロゼットがおおう、原宿店同様のコンセプトで作られたショップ。
東京都渋谷区宇田川町15の1 渋谷パルコパート1 5階
tel 03-3477-5922 営業時間10時~20時30分不定休新しい発想のデザインワーク
左は、A-netのミーティングスペース。白く広い空間には、シンプルなテーブルといすが置いてあるだけだったのが、津村の発案でこんな未来的なフォルムのパーティションが出現。隣の気配を感じながらのゆるやかなコミュニケーションを目指すツール。右は、アトリエ・ワンの塚本氏のリクエストで製作したSHIRT CURTAIN。下の写真は、上から自転車カバーを兼ねたナイロンコート、インディーズドールmomokoとそのパッケージ。
Products Design
大量生産を夢見る仮想の工業デザイン。奇想天外なひらめきと遊び心から生まれた心優しいプロダクツたち。
大量生産を夢見る仮想の工業デザイン。奇想天外なひらめきと遊び心から生まれた心優しいプロダクツたち。
イッセイ ミヤケに入社して最初に企画に携わった時代は、自然に靴やバッグなど周辺的なアイテムを担当することになり、工場や職人との関係ができた。出発点で、物作りをイメージでなく、技術と量産という観点で見るスキルを持ったことが、その後の津村の仕事へ発展する。
発明しようという意識、実験的にいかに遠くへ飛び、人をはっとさせることができるか、が当時の津村の課題だった。
「日常的に存在しているものに、ずれた感覚を加えることで、新鮮によみがえることを追求しました」
各種材料、スポーツ関係から建築資材までファッションからかけ離れた材料を探し歩き、意外性のあるパーツとして使った。
ヨットのロープをつなぐ金具をバッファロー革のバッグに使用した80年代の作品は、今でも斬新だ。それに加えて、イッセイ ミヤケのコレクションで世界的視野を意識してきたことが、日本の売れ筋だけで考えない癖をつけた。ラデイカル=根源的な姿勢。
FINAL HOMEのコンセプトを発想した頭脳は、次々に、おもしろいものをデザインしてきた。
FINAL HOME momokoは、インディーズドールmomokoプロデューサーの真鍋奈見江氏とのコラボレーション。
上海ビエンナーレに出展した、自転車カバーを兼用するナイロンコート。
アトリエ・ワン主宰の建築家塚本由晴氏からの依頼でデザインしたカーテンは、衿と袖をつけて、人の温かみを演出した。津村の所属するA-netのミーティングスペースにあるパーティションも津村のデザインしたオリジナル家具だ。「これは一種の社会環境的なデザインです。クリエーティブな精神をつくるには、クリエーティブな環境が必要だと、僕は思っていますが、こういう環境への配慮は、さまざまなデザインのうちで、フアッション業界が実はいちばん遅れているかもしれませんよ」
イッセイ ミヤケに入社して最初に企画に携わった時代は、自然に靴やバッグなど周辺的なアイテムを担当することになり、工場や職人との関係ができた。出発点で、物作りをイメージでなく、技術と量産という観点で見るスキルを持ったことが、その後の津村の仕事へ発展する。
発明しようという意識、実験的にいかに遠くへ飛び、人をはっとさせることができるか、が当時の津村の課題だった。
「日常的に存在しているものに、ずれた感覚を加えることで、新鮮によみがえることを追求しました」
各種材料、スポーツ関係から建築資材までファッションからかけ離れた材料を探し歩き、意外性のあるパーツとして使った。
ヨットのロープをつなぐ金具をバッファロー革のバッグに使用した80年代の作品は、今でも斬新だ。それに加えて、イッセイ ミヤケのコレクションで世界的視野を意識してきたことが、日本の売れ筋だけで考えない癖をつけた。ラデイカル=根源的な姿勢。
FINAL HOMEのコンセプトを発想した頭脳は、次々に、おもしろいものをデザインしてきた。
FINAL HOME momokoは、インディーズドールmomokoプロデューサーの真鍋奈見江氏とのコラボレーション。
上海ビエンナーレに出展した、自転車カバーを兼用するナイロンコート。
アトリエ・ワン主宰の建築家塚本由晴氏からの依頼でデザインしたカーテンは、衿と袖をつけて、人の温かみを演出した。津村の所属するA-netのミーティングスペースにあるパーティションも津村のデザインしたオリジナル家具だ。「これは一種の社会環境的なデザインです。クリエーティブな精神をつくるには、クリエーティブな環境が必要だと、僕は思っていますが、こういう環境への配慮は、さまざまなデザインのうちで、フアッション業界が実はいちばん遅れているかもしれませんよ」
つむら・こうすけ●1959年埼玉県生れ。ファッションデザイナー。第52回装苑賞受賞後、三宅デザイン事務所入社。'94年毎日ファッション大賞新人賞受賞。ブランド「KOSUKE TSUMURA」デザイナ一、「FINAL HOME」 ディレクター、「Plantation」「WINDCOAT」デザイナーとして活躍するほか、「ヴェネツィア・ビエンナーレ第7回建築展」(2000年、イタリア)、「ロンドンJAM展」('01年、イギリス)、「上海ビエンナーレ」('02-'03年、中国)などのアート展において、ファッションとアートの境界をまたぐ作品を発表し注目されている。
つむら・こうすけ●1959年埼玉県生れ。ファッションデザイナー。第52回装苑賞受賞後、三宅デザイン事務所入社。'94年毎日ファッション大賞新人賞受賞。ブランド「KOSUKE TSUMURA」デザイナ一、「FINAL HOME」 ディレクター、「Plantation」「WINDCOAT」デザイナーとして活躍するほか、「ヴェネツィア・ビエンナーレ第7回建築展」(2000年、イタリア)、「ロンドンJAM展」('01年、イギリス)、「上海ビエンナーレ」('02-'03年、中国)などのアート展において、ファッションとアートの境界をまたぐ作品を発表し注目されている。
THE EXHIBITION OF THE PROPOSAL WORK
KOSUKE TSUMURA
ここで紹介した仕事にとどまらない津村耕佑のクリエーションの世界に触れられる展覧会が開催される。アート展への出展作品はじめ、FINAL HOME商品化にいたるプロセス、アイディアメモ、イメージブックまでの資料を素材として、展示空間自体を作品として再提案する試み。さらに宇川直宏とのコラボレーションでFINAL HOMEに新しい世界を持ち込む。 2003年3月18日(火)~24日(月) スパイラルガーデン 東京都港区南青山5の6の23 スパイラル1階 tel 03-3498-1171 会期中無休 問い合わせ先:A-net tel 03-5624-4854
THE EXHIBITION OF THE PROPOSAL WORK
KOSUKE TSUMURA
ここで紹介した仕事にとどまらない津村耕佑のクリエーションの世界に触れられる展覧会が開催される。アート展への出展作品はじめ、FINAL HOME商品化にいたるプロセス、アイディアメモ、イメージブックまでの資料を素材として、展示空間自体を作品として再提案する試み。さらに宇川直宏とのコラボレーションでFINAL HOMEに新しい世界を持ち込む。 2003年3月18日(火)~24日(月) スパイラルガーデン 東京都港区南青山5の6の23 スパイラル1階 tel 03-3498-1171 会期中無休 問い合わせ先:A-net tel 03-5624-4854